ご覧いただきありがとうございます
ここは私(みどペン)が、「育て辛っ!」と思う息子たちや、「クセ強っ!」と思う夫と、なんとか明るく楽しく穏やかに過ごすことを目指してあれこれやってみたり、やらなかったりする様子を、書いてみたり、書かなかったりするブログです。お時間とお気持ちの許す限りお楽しみください。
妊娠初期
注意:2025年から2005~2006年を振り返った話です。
妊娠・出産・不育・不妊あたりの話題です。
今回はつわりの話がメインです。
NGな方はスキップでお願いします。
妊娠初期のつわりの記録↓
味覚の変化とか、微熱とか、倦怠感とか、嘔吐とか…
ただ、ごく普通の範囲に収まってる気がします。
「つわりなんか全然なかったよ!」
でもなく、
「洒落にならないほど酷かった」
でもない。
本人としては初めての経験なので、表現が大げさになっているところはあるかもしれませんが。
(二人目の時は勢いでつわりの時期を乗り切った気がするから…)
不育の病院
妊娠11週目くらいまでは不育も専門で診てくださる病院に通っていました。
(それまでの2年間で2回流産が続いてました。)
私が当時通っていた病院では、
妊娠検査薬陽性から6段階くらいに分かれた次のステップが書かれた紙を渡されたのですが、
まずその紙をもらえるということの意味の大きさ…
(多分これは「経験した人にしか分からない」類の話になってしまうかもですが…)
「これからまた6つも…私、この階段上れるの?」
と、ものすごく気の遠くなるような話に感じました。
もちろん期待はするんだけど、期待しすぎちゃいけない…
もしまただめだった時の自分の精神をどうやって守るか…とか、
なかなかメンタルを保つのは難しかった頃だったと思います。
8周目で手足が見えて、ようやく実感が湧いてきたって感じでした。
12週目を迎える頃に、
「じゃあ、母子手帳を貰いに行って、出産予定の産婦人科へ行ってください」
という感じで私の場合はその不育の病院を卒業でした。
つわりの終わりは…?
自分の中では15週くらいには楽になると信じてました。
そういう話にすがらないと結構辛い…というくらいには追い込まれてました^^;
途中風邪を引いたこともあって、結構グダグダ体調が悪いのも続いてましたが…
一応、なんとなく、終わりは見えていたみたい?
↓15週目後半の頃
ただ、この後も、
「ぶり返した~」
とか、
「腰痛が~」
とか、
そこそこマイナートラブルは頻発していたようです。
正直今となっては「ようです」みたいに他人事レベルで語れてしまうのですが…
妊婦さん…けっこう大変だよな~と改めて思い起こして、街で妊婦さんを見かけたらなるべく配慮してあげようと思います。
情緒~
当時はフィギュアスケートに入れあげていたようですが、なんか…辛口なんですよね…
今見ると、「なんで?どした?」というくらいキツイように感じます^^;
特殊な状況だったとしても、心の余裕とか寛容さがまだ育ってない自分がいるなぁ、と^^;
それでいうと…子供たちや夫に鍛えられて、だいぶ度量の広い人間になってるような…気がします^^;
自分のことを「大人になりきれない」気がしてましたが、結構そんなことないんじゃないかな~と、
これは自分を褒めてあげてもよいのではないか?と。
あー、でも、まだ、この頃は「世間の誰か」についてアレコレ考えて文句言える余裕があったなぁと。
家族のことで必死な時は誰がどこでどんなことしていようと…あんまり気にならなくなるのが現実^^;
そういう意味では幸せな日々だったのかもしれない…と。
弁当
気持ち悪くても健気に夫に弁当を作ろうとしていた自分がいじらしいですww
今この体調だったら、
「お弁当はしばらく中止です!」
宣言がフツーに出されますw
この頃の夫は今より結構ハードな勤務体制で、色々と支えてあげたい気持ちが強かったんだと思います。
冗談抜きで「夫婦喧嘩NG」って言われてた気がします。
仕事に支障が起きた時に夫のメンタルを問われるってことで。
だからってわけでもないけど?色々配慮はしてました。一応。
そもそも何もなかったらそうそう喧嘩するような夫婦ではないのです。
「冷たいご飯は嫌だ」と言うので保温弁当に…毎日味噌汁までつけて持たせてた…程度の気遣い。
味噌汁の量とかを間違うと「開ける時こぼれる」とかって文句言ってた気はするけど…^^;
だからって
「なによ?私の味噌汁の盛り付けに文句あるっていうの??」
みたいな展開になるはずもなく…
今は電車通勤なので「かさばる」という理由で保温弁当の出番はなくなっちゃいました。
なつかしい…
ああ、だんだん、一人で勝手に思い出に浸るモードになってしまう…
「にほんブログ村」に参加しております。
お時間とお心に余裕のある方ポチッとお願いします。